渡辺 未来(わたなべ みく)
1991年4月24日
東京都で私は生を受けた。
それからすぐに群馬県に引越して、父親と母親、弟からの愛情をたくさん受けてすくすくと私は育った。
小さい頃は、スイミング、新体操、ピアノと、たくさんの習い事をさせてもらった。
毎年、家族親戚総出でハワイ旅行に行くのが恒例で、他にもいろんなところに連れて行ってもらい、私はとても愛されて育った。
小学校は1学年1クラスしかない小さな学校で、6年間ずっと同じクラスメイトで過ごした。
水泳選手だった父の影響で、3才から始めたスイミングは小学校卒業まで続けた。
勉強もけっこう得意なほうだった。
中学校へ進学すると、人数も増え、交流関係も広がった。
そして、吹奏楽部に入部し、フルートを始めた。
入部して3日後くらいに、地元の中学校が集まる合同練習会に参加をした。
他の中学生たちはスラスラ音階を吹いてるのに、私は音も出ず、持ち方すらままならず、とても悔しく恥ずかしかった。
それから負けず嫌いな私は、ずっと貯金していたお年玉を使ってフルートを買い、個人レッスンにも通うようになった。
毎日毎日フルート漬けになった。
でも、部活だけやって勉強できないのは、自分の中でカッコ悪いと思っていた。
だから、勉強もサボらずにやり、学年で上位5位以内の成績をキープし続けた。
進路選択で、中学の先生からは地元の進学校へ行くように勧められた。
でも、私はさらに本格的に部活動をやりたかったため、部活動に力を入れている高校へ進学した。
高校に入ると、すぐに吹奏楽部へ入った。
マーチングの全国大会に毎年出場している高校だった。
憧れの学校だった。
上下関係はめちゃくちゃ厳しかった。
もちろん、先輩の荷物持ちは必ずやった。
私はフルートとカラーガードを担当し、朝は6時から、夜は22時まで、毎日毎日休みなく練習し続けた。
ゆっくりお昼ごはんを食べる余裕はなかったから早弁の技術を習得した。
辛いことも、大変なこともあったけれど、それでも毎日が楽しかった。
そして、努力のおかげで、無事3年間全国大会に出場することができた。
私を指導してくれた先輩や先生は、とにかく厳しい人だったけれど、それ以上に、自分にも厳しい人だった。
愛があるからこその厳しさだった。
そんなこんなで高校3年生の12月まで部活をやり続け、大学入試は1年浪人してから受けることにした。
推薦をもらえば良かったのだけれど、負けず嫌いの私は変なプライドが発動してしまい、部活の成績は関係なしに、勉強だけで合格する!と啖呵を切ってしまった。
それから1年間、孤独に受験勉強をした。
みんなが楽しそうに大学生活を送っている中、一人で孤独に勉強するのは辛かった。
それでも、1年間受験勉強をして大学に行く、という自分で決めた目標から逃げることはしなかった。
それから、志望校に合格して大学へ進学した。
ひょんなことからヨットサークルに入ってしまった。
ヨットなんてやったことはなかったけれど、海は元々好きだったし 「みんなで海に行って遊びたい!」 そんなミーハーなノリから入部してしまった。
ヨットの知識を勉強し、船舶の免許も取得し、けっこう本格的に練習した。
ヨットの維持費や合宿代を捻出するために、たくさんアルバイトも掛け持ちした。
自分が頑張れば頑張るほど報酬を得られる営業の仕事やガールズバーなどで働いた。
みんなで海に行って、ヨットをやったりバーベキューをやったり朝まで飲み明かしたり、、、そんな日常が大好きだった。
まさに、人生の夏休みだと思った。
それから就職活動。
将来のことは、いまいち想像がつかなかった。
特にやりたいことも気になる業種もなかった。
自分の強みも弱みもわからなかった。
「何がしたいの?」
「どうなりたいの?」
「夢は?目標は?」
そんな質問が大嫌いだった。
それでも、すごく気になる会社に出会うことができた。
仕事とプライベートの垣根なく、すごく楽しそうに働いてる社員さんたちが印象的な会社だった。
それから私は、その会社に入社するために大阪に引っ越した。
毎日がすごく新鮮で、仕事が大好きになった。
1日14時間くらい働いていたけれど、別に苦じゃなかった。
毎日がとても楽しかった。
働くってこんなに幸せなことなんだ、と知った。
でも、私が大阪に引っ越したことで、当時付き合っていた彼とは遠距離になった。
月に1度、私か彼が東京か大阪に行っていた。
25才の時、彼から「東京に来てほしい」と言われた。 とっさに私は、「行けるわけないじゃん…」と言ってしまい、それから音信不通になった。
結婚を考えていなかったわけではない。
でも、楽しんでる仕事をやめたくはなかった。
自分が夢中になってることをやめなければ結婚ってできないの?
私は、結婚と仕事を天秤にかけて、仕事を選ぶしかなかった。
それから私は仕事に没頭した。
仕事はとてもやりがいを感じていた。
同僚とも仲がよく、年に一度はみんなで旅行に出かけた。
28才。
気がつくと、周りの同期は次々と寿退社し、子供ができ、家族ができ、一緒に遊んでいた仲間はいなくなっていった。
焦りを感じて参加した街コン。
これといって趣味のない私は会話のネタがなく、仕事の愚痴ばかり言ってる人たちの輪に嫌気がさしてしまった。
それから、転職活動をしてみた。
楽しそうな企業はたくさんあった。
でも、転職して何かが大きく変わるような気がしなかった。
このままではいけない。
何かを変えないといけない。
でも、どうしたらいいんだろう…
そんなとき、ある女性に出会った。
興味本位で参加した起業セミナーだった。
起業に興味がなかったわけではないけれど、なんの強みも、なんの実績もない私にできるはずがないと思っていた。
でも、そのセミナーで、やりたいことが決まっていなくても始められる!知識やスキルがなくてもできる!稼ぎながら学べる!そんな方法があるのかと知り、私は食いつくように話を聞いた。
聞けば聞くほど、自分自身が大きく変われそうな気がした。
だから私は、自分で稼ぐチカラを身につけることに決めた。
その時はまだパソコンも持っていなかったし、会社も辞めるのか続けるのか答えが出ていない状態だったけど、「しっかり学んで、この先生みたいに素敵な仲間たちと仕事や旅行を目一杯楽しむんだ!」と決心した。
そこから私は、起業塾に入会し、パソコンを買って、先生のアドバイスを素直に聞いて実践した。
会員サイトの動画を片っ端から見て勉強した。
勉強会には全て出席した。
先生がやっていることをとにかく真似して毎日質問をした。
もちろん地味な作業もあるし、慣れないパソコン操作に苦戦することも多かったけど、ひとつひとつできるようになることが増えて楽しかった。
切磋琢磨できる仲間もたくさんできた。
仕事の愚痴をいう人たちじゃなくて、もっと成果を上げるためにはどうしたらいいのか、真剣に話し合える刺激的な仲間たちだった。
思うように成果が出なくて悔しい思いをしたり、自分よりも後からスタートした子がどんどん成果を上げていることに焦ったりもしたけれど、そういう経験も全て自分の糧となり、実力になった。
チャレンジすると決意したあの日から6ヶ月後、 私は月収104万を達成した。
ビジネスなんて何も知らなくて、得意なことがあるわけでもない、人脈があるわけでもない、そんな私が、まさかたった半年で、月収100万を稼ぐ起業家になるなんて想像もしていなかった。
未経験からの起業って、夢物語ではないことを知った。
自分の好きなときにたくさん旅行に行けるようになった。
たくさんの起業家仲間ができた。
親孝行もできるようになった。
自分を慕ってくれる生徒たちもたくさんできた。
私が教えた生徒たちも次々と目標を達成し成果を出していった。
これからも私は、過去の自分のように、漠然とした不安、現状に対するマンネリ感を、なんとかしたいと思っている方に伝え続けたい。
あなたが抱えているモヤモヤは結婚したら消えますか?
職場を変えたら消えますか?
会社に雇われなくても、自分で稼ぐチカラさえ身につければ、自由もやりがいも刺激も仲間も、好きなだけ手に入れることができます。
強みもない。人脈もない。スキルもない。やりたいことすらない。
私が持っていたのは、自分を信じて挑戦する気持ちと諦めない根性だけ。 そんな私でもできた。
私の人生は、切磋琢磨できる仲間と、自分を信じてくれるメンターに出会えたことで、変えることができた。 たった一つの出会いとたった一つの決断で人生を変えることはできる。
以前の私のように、「このままの生き方を5年後も10年後も続けるのは何か違う。何か変えないと…」そう思っているけれど、「何をしていいのかわからない…」そんな人の道標となり、
「もっと自由なライフスタイルを手に入れたい!」「もっと人生を全力で楽しみたい!」そう思っているあなたが、一歩踏み出すきっかけに、私はなりたいと思っています。
私は、ずっと自分の居場所を探していたのかもしれない。
「あの時、未来さんと出会って良かったです!」
「おかげで人生変わりました!」
「ありがとうございます!」
そうやって、人の成長に一緒に関われる今の仕事を私は天職だと思っています。
だから私は、これからも、自分が経験してきたことを伝え、一緒にあなたの理想の未来を叶える手助けをしたいと思っています。
あなたの理想のライフスタイルはなんだろうか?
あなたが手に入れたい未来は、どんなものだろうか?
いつか一歩踏み出したあなたと握手できる事を、心から楽しみにしています!
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